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2022年04月26日 [色々なこと]

ストーンヘンジと太陽暦

お疲れ様です。院長です。

4月26日の火曜日でございます。

もうすぐゴールデンウイークなんですが、当院は水曜日が休診ですから、明日から怒涛の飛び石連休に入ります。

27日(休)28日、29日(休)30日、1日(休)、2日となっております。

なかなか…。

気持ちの切り替えが大変だな(笑)

では今日のネタ、世界的に有名な遺跡、ストーンヘンジについてのお話しです。

ストーンヘンジ…

ご存知ですよね。こんなやつです。

世界で最も有名な先史時代の遺跡、ストーンヘンジですが、遺跡の目的については様々な説が唱えられておりいまだ結論は出ていません。

太陽崇拝の祭祀場、古代の天文台などありますが中でも有力なのが、なんらかの暦説です。

新たな研究によると、ストーンヘンジは「太陽暦」として利用されていた可能性があるそうです。

ボーンマス大学のティモシー・ターヴィル教授によると、ストーンヘンジは、太陽の動きに合わせた明確な造りとなっており、これらの配置が、1年が365.25日という太陽暦に基づくカレンダーを表しているんだとか…。

「サルセン石」と呼ばれる巨大な砂岩でできたストーンヘンジの構造群は、紀元前2500年から紀元前2000年の間に建てられらと考えられており、北西ヨーロッパで唯一無二のものです。

そのデザインや構造において、ストーンヘンジは同年代の他の石造構造物とはまったく異なる特徴をもっています。

イギリス南部の白亜の泥灰質大地にあるストーンヘンジは、なんらかの暦の一種ではないかとずっと考えられてきましたが、その具体的な目的や仕組みは明らかになっていません。

20世紀始めには、星の時計をベースにした5月のカレンダーを表わしていると考えられていたりもしました。

のちに、太陽や月の8つの最果ての位置に合わせた「新石器時代のコンピューター」で、時間を計算し、日食や月食を予測するために使われたという解釈が進んだりもしていました。

一方、夏至、冬至、春分、秋分、5月/収穫祭(8月1日)、聖マルティヌス(11月11日)、聖燭祭(2月2日)をサイクルの節目とした、16ヶ月の暦を提唱する専門家もいたそうです。

つまり、分からんってことですわな(笑)

数多くの解釈があるとはいえ、どれも完全に納得できるものではないんです。

ストーンヘンジと同時代のものではない要素を用いたり、精密な調査に耐えられないような天文学的配列を参照したり、ケルト歴という信憑性が怪しい考えを継続したりしているためです。

「明らかに夏至や冬至を意識した配列になっているため、古物研究家のウィリアム・ステュークリ以来、ストーンヘンジは何らかの暦の一種ではないかと考えられてきました」とダーヴィル氏。

そして新たな研究によって、ストーンヘンジは1年365.25日の太陽暦に基づいた暦であることを示す説がクローズアップされてきてるわけです。

重要なことは、ストーンヘンジのサルセン石が、紀元前2500年頃の同じ時期の建築に加えられたことが、最近の研究で明らかになったことです。

同じ地域から材料を手に入れ、その後も同じ構造のまま残されたことは、これが単一ユニットとして機能していたことを示しています。

そこで、ダーヴィル氏はこれらの石を分析して、数秘術を調べ、この時代に知られていたほかの暦と比較してみたそうです。

そのレイアウトから太陽暦を特定し、ウィルトシアの古代の住民が、日、週、月を追うのを助けるこの暦が、一年を具体的に表す役割を果たしたと示唆しました。

サラセン石の円の中にある30個の石は、それぞれ10日ずつ3週に分けられた1ヶ月の中の1日を表わしていて、円の中の特徴的な石は、各週の始まりを示しています。

さらに、太陽年と合わせるために、5日のうるう月と4年ごとに1日のうるう日が必要でした。

神々に捧げられたと思われるうるう月は、遺跡の中央にある5つのトリリトン(2本の柱石の上にひとつの石を水平に乗せた巨石建造物)で表現されています。

サラセンサークルの外側にある起点となる4つの石は、うるう日までのマーカーの目印となっています。

このようにして、冬至と夏至の太陽は、毎年、同じ石の組み合わせが背景となるようになっている。

トリリトン(馬蹄形に配置された高さ7mほどの巨大な門の形の組石)のひとつもまた冬至を表わし、新年であった可能性を示しているんだとか…。

こうした至の配列は、暦の換算にも役立ちます。

日数計算の誤差は、夏至の日に太陽が石の枠がある位置と違う位置に来たら、簡単に発見することができるからです。

10日間の週や、よけいな月がある暦は、今日では珍しいかもしれませんが、このような暦は、当時は多くの文明で採用されていたそうなんです。

「こうした太陽暦は、紀元前3000年以降、数世紀の間にで東地中海で発展し、エジプトでは紀元前2700年頃に政歴として採用され、紀元前2600年頃の古王国時代の始めに広く使われていました」ダーヴィル氏は語ります。

このことから、ストーンヘンジがたどった暦は、こうしたほかの文化の影響を受けて発生した可能性があると…。

近隣でのいくつかの発見からも、ほかの文化のつながりを感じられるそうです。

と言うわけで、確実に謎が解明されたわけではないですが、今回のはかなり本物っぽいんだとか…。

まぁ、わたくし院長、一生、ストーンヘンジを見ることはないと思いますけど、謎は解明されて欲しいです。

ではまた〜。










京都 中京区 円町 弘泉堂鍼灸接骨院


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