2017年08月14日 [色々なこと]
お盆怪奇スペシャル第一弾。「三途の川」について
お疲れ様です。院長です。
8月14日の月曜日。
何かとダルがられる月曜日ですが、今日はお盆ってことでお休みです。
さぁ、お盆。
そもそもお盆と言うのは、先祖が帰ってこられる期間ってことで、地方によって若干違いはありますが、13日に迎え火をたいて先祖をお迎えし、16日に送り火をたいてお見送りするっていうのが一般的な様ですね。
てことで、今日は14日ですから、ご先祖は昨日、帰って来られて今はのんびり過ごしてらっしゃるところでしょう。
まぁ、このご先祖って感覚も宗教によって違ったり、地方によって違ったりしますがこの期間くらいは、ご先祖の事を敬い、感謝する心くらいは持ちたいもんですね。
で、先祖が帰って来てるって現象、これってそもそもホラーなわけですわ(笑)
で、夏って事も手伝って、去年はお盆休み怪奇特集とかこのブログでもやりましたね。
因みにこんな記事でした。怪奇スペシャル1 怪奇スペシャル2
で、今年も怪奇な話でもと思ったんですが、なかなか難しくてってより、世の中怪奇な話が多すぎて、何を書こうか迷ってしまいまして…
なので、せっかくお盆でご先祖様が帰って来てらっしゃるんだから、怪奇の中でも相応の話にしようかと…
てことで、今日から3日間は、ご先祖特集やります(笑)
その初日、本日はまずご先祖さまであろうが、知らない人であろうがお亡くなりになられたら、ここを通ると言われているとある場所…
ここにスポットを当てていきたいと思います。
その場所とはいわゆる「三途の川」ですね。
この世とあの世の境界に存在するといわれているのが、この三途の川。
宗教上の存在とされながらも、三途の川の体験談は実際に存在していますよね。
なので、今日はこの川について色々勉強していきましょう〜。
まぁ、定義的?には三途の川とは、この世とあの世の境目にあるといわれている伝承上の川で、仏教では人は死ぬとこの三途の川を渡り、この世からあの世に行くとされています。
つまりは、仏教に伝わる解釈のひとつに過ぎないわけですが、何故か臨死体験をした人の中には三途の川を目撃したという人が数多くいます。
では、そもそもこの三途の川の「三途」ってなに?ってとこからスタートですが、「三途」とは、餓鬼道、畜生道、地獄道を表す言葉であり、仏教の経典に由来しているそうなんです。
これらは初め三悪道と呼ばれていましたが、仏教においてあの世の入り口が川であるという考え方が広がったため、三途の川と呼ばれるようになったのですって。
三悪道…
悪そうやな(笑)
で、三途という考え方はもともと中国で生まれたものでしたが、やがて日本にも伝わり、平安時代には一般的な考え方となりました。
三途の川の正式名称は「葬頭河(そうずか)」であるとされており、他にも三途河(しょうずが)や渡り川と呼ばれることもあるようです。
そして、三途の川には橋があるという言い伝えが存在します。
人は死んでから7日後に三途の川に辿り着くといわれていますが、生前の行ないによってその渡り方が変わると…
この辺から、なんかドキドキしますが、生前に悪い行いをしてきた悪人は三途の川を泳いで渡らなければなりませんが、善い行いをしてきた善人は三途の川にかかったこの橋を使って向こう岸に渡ることができるんですって。
で、悪人の中でも特に罪の深い極悪人は「強深瀬(ごうしんせ)」と呼ばれる三途の川の中でも最も険しい深瀬を渡らなければなりません。
この強深瀬は波も高く水の流れも急で、渡ろうとした極悪人の体を岩に打ち付けて粉々に粉砕してしまうそうです。
しかし、魂となった極悪人の体は直ぐに元通りになり、また打ち砕かれてを繰り返すことになるんですって…
このように三通りの渡り方があることも三途の川の名前の由来なのではないかと言われているそうですわ。
で、次に平安時代後期になると三途の川を渡る際にはお金が必要であると考えられるようになりました。
死者はその善悪に関係なく、お金の有無によって船で三途の川を渡ることができると考えられるようになったのです。
三途の川の川岸には懸衣翁(けんえおう)と奪衣婆(だつえば)という鬼の夫婦が住んでおり、死者はこの鬼に六文銭を納めなければならないとされました。
この六文銭を納めることができれば、悪人も生前の罪を悔い改めたものと考えられ、善人と同じ船で三途の川の向こう岸に渡ることができたって言いますから何となくな理不尽さを感じます(笑)
地獄の沙汰も金次第とはよく言ったもんやね〜。
これらの言い伝えから仏教系の葬式の際には死者に六文銭を握らせてから埋葬するという習慣が生まれたそうです。
これらの習慣は現在でも続いており、近年では火葬の妨げにならないように紙の六文銭が使用されている地方もあるそうですよ。
では、極悪人もその罪を許される渡し賃の六文銭ですが、その価値はどれくらいのものだったのでしょうか?
何となく調べた結果、意外なことに六文銭は現在でいうところの「300円」ほどの価値しかありませんでした。
安っ(笑)
まぁ、バスよりちょっと高いけど、それでもあまりにも安かないか?
ですが、まぁ、この六文銭の渡し賃の言い伝えは仏教上の正式な教えではなく、一般庶民のあいだで語られるうちに生まれた民間伝承でした。
つまり、今で言うところの「都市伝説」
それが現代まで語り継がれてるわけで、ある意味時代を超えたホラ話ってことになるのかもしれません(笑)
ま、当時の人々にとっては「善行を行ない悪事を働くべきではない」という教えよりも、「どんな悪事を働いてもたった六文銭を支払うだけで許される」という内容の方が都合がよかったんやろね(笑)
日本がまだまだ貧しかった時代には、各地で盗みや人殺しが蔓延していたようですし、また、家族内であっても口減らしのために自分たちの子どもを間引いたり、労働力にならない老人を山に捨てる姥捨て(うばすて)が行われていたなんて言いますからねぇ…
そういった悲しい風習から逃れるために、三途の川の渡し賃という伝承を生み出したのかも知れませんね。
で、話を戻して、三途の川に存在するとされている河原は「賽の河原(さいのかわら)」と呼ばれています。
賽の河原には「石積みの刑」というものが存在し、親より先に死んだ子どもたちがその償いのために河原の石を高く積み上げているとされてるそうです。
石積みを完成させると子どもたちは解放されますが、あと少しで完成という段になると鬼がやってきて崩してしまうため、石積みの刑は永遠に続くといわれています。
まぁ、それだけ親より先に死ぬって事は、罪な事だという考えなんでしょうね…
因みに、賽の河原という地名は霊峰恐山に実在してるそうです。
ひょっとして、恐山にある賽の河原が三途の川で、死者はみんなそこを通るのかもしれませんねぇ…
なので、恐山にはイタコがいるんやって考えると、辻褄があうもんねぇ…。
では、その三途の川、単なる言い伝えであるとされていますが、不思議なことに臨死体験をした人の中には実際に川のようなものを見たという話が数多く存在しています。
ので、ちょっと色々調べてこんな話ってのをご紹介します。
@三途の川で溺れた男性
戦争に出ていたある男性が銃弾を受けて瀕死の重傷を負ったときに体験したとされる話で、男性は夢の中で大きな川の前に立っていました。
すると向こう岸で同じく戦争に行っていた男性が手を振っているのに気が付いたのです。
男性が川を渡ろうとしたとき、背後から「その川を渡ってはいけない。」と誰かに呼び止められました。
振り返るとそこにはすでに戦死したはずの仲間が立っていたのです。
これが噂に聞く三途の川であると気付いた男性は、川に入って向こう岸に渡ろうと試みました。反対の川岸で手を振っていたのがまだ死んでいない仲間だったからです。
しかし、男性は川を泳ぎ切ることはできず、そのまま溺れて意識を失ってしまいました。
目を覚ますと男性は医療班によって治療を受けている最中でした。
その後、男性は向こう岸で手を振っていた友人が実は男性と共に銃撃され、先日亡くなっていたのだと聞かされたのでした。
A祖父に諭された女性
ある女性が自動車事故に逢い生死の境をさまよったときに体験した話です。
女性が気付くと辺り一面に花畑が広がっており、目の前には大きな川が流れていました。また、向こう岸には大好きな祖父が立っていたのです。
女性が川を渡って祖父の元へ行こうとすると、彼は「お前にはまだ早い。子どもが生まれたばかりじゃないのか?」と諭したといいます。
気が付くと女性は病院のベッドに横たわっていて、祖父はずっと昔に亡くなっていたことを思い出すわけです。
B死後硬直から蘇った女性
ある女性が突然倒れ意識を失ったときに体験した話です。彼女は夢の中で綺麗な花畑と川にかかる橋を目撃しました。
彼女が何気なく橋を渡ろうとすると、どこからともなく祖母が現れ「こんなところで何をしてるの。早く帰りなさい。」と叱られました。
彼女は優しい祖母がいつになく厳しい口調で諭すので橋を渡ることをあきらめたといいます。
彼女が目を覚ますと周囲の人々は青ざめた顔をしていました。倒れた後の彼女は完全に心肺停止の状態であり、死後硬直まで始まっていたからです。
そして彼女も夢に現れた祖母がすでに亡くなっていたことを思い出して驚いたのです。
C家族が目撃した三途の川を渡る瞬間
家族に最期を看取られる際に不思議な行動をした人の話も存在します。ある男性が危篤状態になり、最期を覚悟した親戚が男性の家に集まっていたときです。
男性は意識が戻っていないにも関わらず、突然「綺麗な水だなぁ。」といって水を手ですくって飲むような仕草をしたのです。
親戚一同は彼が目を覚ましたのかと驚きましたが、男性の意識が戻ることはなくそのまま亡くなってしまいました。
これは三途の川を目撃している人を客観的に観察できた珍しい事例であるとされているんですって。
どれもこれも、聞いたことあるやろ?(笑)
つまり、それだけこの「三途の川」の都市伝説は、広く深く語り継がれてるってことなんでしょうな。
ま、わたし的には、これだけ死後は川を渡ると聞かされてたら、それが死にかけの朦朧としてる時に蘇り、幻覚を見せてんのちゃうん?
とか、夢も希望もない穿った見方をしてしまいますが、こればっかりは自分が実際死ぬときまで分かりませんからね(笑)
どうでした?
お盆スペシャル、怪奇と言うほどではなかったですが、奥の深い話でしょ?
てことで、初日は終わりますが、明日2日目のお盆特集は、三途の川を渡り、次に行く先…
そう「地獄」についてお話しましょう。
では、みなさん良い休日を〜
京都 中京区 円町 弘泉堂鍼灸接骨院
8月14日の月曜日。
何かとダルがられる月曜日ですが、今日はお盆ってことでお休みです。
さぁ、お盆。
そもそもお盆と言うのは、先祖が帰ってこられる期間ってことで、地方によって若干違いはありますが、13日に迎え火をたいて先祖をお迎えし、16日に送り火をたいてお見送りするっていうのが一般的な様ですね。
てことで、今日は14日ですから、ご先祖は昨日、帰って来られて今はのんびり過ごしてらっしゃるところでしょう。
まぁ、このご先祖って感覚も宗教によって違ったり、地方によって違ったりしますがこの期間くらいは、ご先祖の事を敬い、感謝する心くらいは持ちたいもんですね。
で、先祖が帰って来てるって現象、これってそもそもホラーなわけですわ(笑)
で、夏って事も手伝って、去年はお盆休み怪奇特集とかこのブログでもやりましたね。
因みにこんな記事でした。怪奇スペシャル1 怪奇スペシャル2
で、今年も怪奇な話でもと思ったんですが、なかなか難しくてってより、世の中怪奇な話が多すぎて、何を書こうか迷ってしまいまして…
なので、せっかくお盆でご先祖様が帰って来てらっしゃるんだから、怪奇の中でも相応の話にしようかと…
てことで、今日から3日間は、ご先祖特集やります(笑)
その初日、本日はまずご先祖さまであろうが、知らない人であろうがお亡くなりになられたら、ここを通ると言われているとある場所…
ここにスポットを当てていきたいと思います。
その場所とはいわゆる「三途の川」ですね。
この世とあの世の境界に存在するといわれているのが、この三途の川。
宗教上の存在とされながらも、三途の川の体験談は実際に存在していますよね。
なので、今日はこの川について色々勉強していきましょう〜。
まぁ、定義的?には三途の川とは、この世とあの世の境目にあるといわれている伝承上の川で、仏教では人は死ぬとこの三途の川を渡り、この世からあの世に行くとされています。
つまりは、仏教に伝わる解釈のひとつに過ぎないわけですが、何故か臨死体験をした人の中には三途の川を目撃したという人が数多くいます。
では、そもそもこの三途の川の「三途」ってなに?ってとこからスタートですが、「三途」とは、餓鬼道、畜生道、地獄道を表す言葉であり、仏教の経典に由来しているそうなんです。
これらは初め三悪道と呼ばれていましたが、仏教においてあの世の入り口が川であるという考え方が広がったため、三途の川と呼ばれるようになったのですって。
三悪道…
悪そうやな(笑)
で、三途という考え方はもともと中国で生まれたものでしたが、やがて日本にも伝わり、平安時代には一般的な考え方となりました。
三途の川の正式名称は「葬頭河(そうずか)」であるとされており、他にも三途河(しょうずが)や渡り川と呼ばれることもあるようです。
そして、三途の川には橋があるという言い伝えが存在します。
人は死んでから7日後に三途の川に辿り着くといわれていますが、生前の行ないによってその渡り方が変わると…
この辺から、なんかドキドキしますが、生前に悪い行いをしてきた悪人は三途の川を泳いで渡らなければなりませんが、善い行いをしてきた善人は三途の川にかかったこの橋を使って向こう岸に渡ることができるんですって。
で、悪人の中でも特に罪の深い極悪人は「強深瀬(ごうしんせ)」と呼ばれる三途の川の中でも最も険しい深瀬を渡らなければなりません。
この強深瀬は波も高く水の流れも急で、渡ろうとした極悪人の体を岩に打ち付けて粉々に粉砕してしまうそうです。
しかし、魂となった極悪人の体は直ぐに元通りになり、また打ち砕かれてを繰り返すことになるんですって…
このように三通りの渡り方があることも三途の川の名前の由来なのではないかと言われているそうですわ。
で、次に平安時代後期になると三途の川を渡る際にはお金が必要であると考えられるようになりました。
死者はその善悪に関係なく、お金の有無によって船で三途の川を渡ることができると考えられるようになったのです。
三途の川の川岸には懸衣翁(けんえおう)と奪衣婆(だつえば)という鬼の夫婦が住んでおり、死者はこの鬼に六文銭を納めなければならないとされました。
この六文銭を納めることができれば、悪人も生前の罪を悔い改めたものと考えられ、善人と同じ船で三途の川の向こう岸に渡ることができたって言いますから何となくな理不尽さを感じます(笑)
地獄の沙汰も金次第とはよく言ったもんやね〜。
これらの言い伝えから仏教系の葬式の際には死者に六文銭を握らせてから埋葬するという習慣が生まれたそうです。
これらの習慣は現在でも続いており、近年では火葬の妨げにならないように紙の六文銭が使用されている地方もあるそうですよ。
では、極悪人もその罪を許される渡し賃の六文銭ですが、その価値はどれくらいのものだったのでしょうか?
何となく調べた結果、意外なことに六文銭は現在でいうところの「300円」ほどの価値しかありませんでした。
安っ(笑)
まぁ、バスよりちょっと高いけど、それでもあまりにも安かないか?
ですが、まぁ、この六文銭の渡し賃の言い伝えは仏教上の正式な教えではなく、一般庶民のあいだで語られるうちに生まれた民間伝承でした。
つまり、今で言うところの「都市伝説」
それが現代まで語り継がれてるわけで、ある意味時代を超えたホラ話ってことになるのかもしれません(笑)
ま、当時の人々にとっては「善行を行ない悪事を働くべきではない」という教えよりも、「どんな悪事を働いてもたった六文銭を支払うだけで許される」という内容の方が都合がよかったんやろね(笑)
日本がまだまだ貧しかった時代には、各地で盗みや人殺しが蔓延していたようですし、また、家族内であっても口減らしのために自分たちの子どもを間引いたり、労働力にならない老人を山に捨てる姥捨て(うばすて)が行われていたなんて言いますからねぇ…
そういった悲しい風習から逃れるために、三途の川の渡し賃という伝承を生み出したのかも知れませんね。
で、話を戻して、三途の川に存在するとされている河原は「賽の河原(さいのかわら)」と呼ばれています。
賽の河原には「石積みの刑」というものが存在し、親より先に死んだ子どもたちがその償いのために河原の石を高く積み上げているとされてるそうです。
石積みを完成させると子どもたちは解放されますが、あと少しで完成という段になると鬼がやってきて崩してしまうため、石積みの刑は永遠に続くといわれています。
まぁ、それだけ親より先に死ぬって事は、罪な事だという考えなんでしょうね…
因みに、賽の河原という地名は霊峰恐山に実在してるそうです。
ひょっとして、恐山にある賽の河原が三途の川で、死者はみんなそこを通るのかもしれませんねぇ…
なので、恐山にはイタコがいるんやって考えると、辻褄があうもんねぇ…。
では、その三途の川、単なる言い伝えであるとされていますが、不思議なことに臨死体験をした人の中には実際に川のようなものを見たという話が数多く存在しています。
ので、ちょっと色々調べてこんな話ってのをご紹介します。
@三途の川で溺れた男性
戦争に出ていたある男性が銃弾を受けて瀕死の重傷を負ったときに体験したとされる話で、男性は夢の中で大きな川の前に立っていました。
すると向こう岸で同じく戦争に行っていた男性が手を振っているのに気が付いたのです。
男性が川を渡ろうとしたとき、背後から「その川を渡ってはいけない。」と誰かに呼び止められました。
振り返るとそこにはすでに戦死したはずの仲間が立っていたのです。
これが噂に聞く三途の川であると気付いた男性は、川に入って向こう岸に渡ろうと試みました。反対の川岸で手を振っていたのがまだ死んでいない仲間だったからです。
しかし、男性は川を泳ぎ切ることはできず、そのまま溺れて意識を失ってしまいました。
目を覚ますと男性は医療班によって治療を受けている最中でした。
その後、男性は向こう岸で手を振っていた友人が実は男性と共に銃撃され、先日亡くなっていたのだと聞かされたのでした。
A祖父に諭された女性
ある女性が自動車事故に逢い生死の境をさまよったときに体験した話です。
女性が気付くと辺り一面に花畑が広がっており、目の前には大きな川が流れていました。また、向こう岸には大好きな祖父が立っていたのです。
女性が川を渡って祖父の元へ行こうとすると、彼は「お前にはまだ早い。子どもが生まれたばかりじゃないのか?」と諭したといいます。
気が付くと女性は病院のベッドに横たわっていて、祖父はずっと昔に亡くなっていたことを思い出すわけです。
B死後硬直から蘇った女性
ある女性が突然倒れ意識を失ったときに体験した話です。彼女は夢の中で綺麗な花畑と川にかかる橋を目撃しました。
彼女が何気なく橋を渡ろうとすると、どこからともなく祖母が現れ「こんなところで何をしてるの。早く帰りなさい。」と叱られました。
彼女は優しい祖母がいつになく厳しい口調で諭すので橋を渡ることをあきらめたといいます。
彼女が目を覚ますと周囲の人々は青ざめた顔をしていました。倒れた後の彼女は完全に心肺停止の状態であり、死後硬直まで始まっていたからです。
そして彼女も夢に現れた祖母がすでに亡くなっていたことを思い出して驚いたのです。
C家族が目撃した三途の川を渡る瞬間
家族に最期を看取られる際に不思議な行動をした人の話も存在します。ある男性が危篤状態になり、最期を覚悟した親戚が男性の家に集まっていたときです。
男性は意識が戻っていないにも関わらず、突然「綺麗な水だなぁ。」といって水を手ですくって飲むような仕草をしたのです。
親戚一同は彼が目を覚ましたのかと驚きましたが、男性の意識が戻ることはなくそのまま亡くなってしまいました。
これは三途の川を目撃している人を客観的に観察できた珍しい事例であるとされているんですって。
どれもこれも、聞いたことあるやろ?(笑)
つまり、それだけこの「三途の川」の都市伝説は、広く深く語り継がれてるってことなんでしょうな。
ま、わたし的には、これだけ死後は川を渡ると聞かされてたら、それが死にかけの朦朧としてる時に蘇り、幻覚を見せてんのちゃうん?
とか、夢も希望もない穿った見方をしてしまいますが、こればっかりは自分が実際死ぬときまで分かりませんからね(笑)
どうでした?
お盆スペシャル、怪奇と言うほどではなかったですが、奥の深い話でしょ?
てことで、初日は終わりますが、明日2日目のお盆特集は、三途の川を渡り、次に行く先…
そう「地獄」についてお話しましょう。
では、みなさん良い休日を〜
京都 中京区 円町 弘泉堂鍼灸接骨院