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2016年07月01日 [日々のこと]

祇園祭

お疲れ様です。院長です。

7月1日金曜日。

ついに7月突入ですねぇ〜。

7月といえば、梅雨があけて夏がきます。

後2週間ほどですかね〜


京都の街中では、そろそろ祇園ばやしが聞こえてきますし、「夏」って感が満載です。

夏嫌いの私なんかも、京都生まれの京都育ちですし、当然「祇園祭」とともに育ってきました。

てことで、今日はさらっとだけ「祇園祭」のお話でも…


まず、この祇園祭、京都の夏の風物詩でして、7月1日から1か月間にわたって行われる長い祭なんですね。

一般的には7月14日〜17日あたりを祇園祭と呼んでいますが、本当は今日から始まるお祭りなんですよ。


その歴史は当然古く、平安時代に遡ります。貞観11年(869)、大飢饉が京の都を襲ったそうで、これは、牛頭天王の祟りであると、当時の国の数である66カ国に合わせて、66本の鉾を立てて、祇園社から神泉苑へ運び、その泉に流した…のが始まりと言われています。

ここでいう鉾は、今の鉾とは違い6メートルほどの棒状で先が諸刃の剣になった、まさに鉾です。

これは京都の各神社の祭り(藤森神社、粟田神社、滝尾神社、西院春日神社等)で、神輿とともに見ることが今でも出来ます。


ですが、この長い歴史の中で、祇園祭は応仁の乱で中止になってしまいます。

が、しかし、祇園祭は町衆の力で1500年に復興されました。

この町衆の力ってのがポイントで、決して祇園祭はいわゆる「公」のものではないんですね。


それが証拠に、1500年の復活を境に、毎年賑やかになっていく鉾の巡行に対し、1533年、時の権力者が鉾を動かしてはいけないというお達しを出したらしいんです。

ところが「神事これなきとも、山鉾を渡したし」と、自分たちの力=町衆の力で鉾を出し始めます。これまで祇園御霊会(ごりょうえ)と呼ばれていた祭事が、祇園祭として町衆の祭りという側面を持ち始めたのが、この時からだといいます。

この時もいわゆる「公」な方たちが、鉾が巡行できないように、道にしめ縄を張って結界をつくったようですが、それを切って鉾は進んでいった…と言うような逸話が残っています。


その名残が、四条麩屋町の角で、長刀鉾の稚児がしめ縄を切ることで鉾の巡行の始まりという、儀式?となっているわけです。


で、先ほどの「神事これなきとも、山鉾を渡したし」とありましたが、それ以来、祇園祭はふたつの側面を持つようになり発展していきます。

いわゆる山鉾町における町衆の山鉾巡行の祭。つまり、一般的に見る、宵山〜山鉾巡行のお祭りですね。


そして八坂神社の主宰されている神が町を練り巡る神輿の祭です。


このふたつが組み合わさって7月1日の吉符入から31日の夏越祓(なごしのはらい)まで1カ月間 続くと、こうなってるわけです。


この祇園祭に関しては、書き出したら書籍ができるほど奥が深くて、歴史的にも面白いんですが、今日は最後にちょっとしたうんちくを…


祇園祭は7月1日の吉符入から31日の夏越祓まで…と書きましたが、その間、山鉾町の方も祇園町の方もキュウリを食べないんですよ。


なぜかというと、キュウリを輪切りにするとその切り口が八坂神社の神紋に似ている…ということなんです。


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家に家紋があるように、神社にも神紋があります。で、それと似ているからという理由で、京都の町衆、祇園祭に関わる人たちはキュウリを食べないって習わしなんです。

まぁ、今はそこまでしている方は少ないかもしれませんが、それだけ京都の人々は、祭りにも八坂神社にも、崇敬の念をもっているということなんですよ。


と、いうわけで、今日は祇園祭の初日、 吉符入です。

一般的には何をするということじゃなく、今年の祭りの無事を祈願したり、準備に入る事初め儀式みたいなものなんですが、今日を境に京都に夏がやってきます。


てことで、この7月も頑張って乗り切りましょう〜



ではまた〜




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京都 中京区 円町 弘泉堂鍼灸接骨院


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