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2018年06月26日 [色々なこと]

純情感情愛情に異常。

お疲れ様です。院長です。

6月26日の火曜日でございます。

6月も終盤、月末が近付いております。

明日から、色々支払いが続く魔の数日なわけですわ。

院長は毎月、この期間が嫌い過ぎでございます。

はぁ〜

ってことで、今日もネタに入ってくわけですが、今日のネタは昨日に続きAIネタでございます。

昨日のブログは読んでくれたやろか?

昨日の話は、AIをサイコパスに仕立て上げるってちょっと変わった話でしたが、今日はそういったものすべての根底にある疑問…

そもそもAI(人工知能)は感情をもつのか…

AI(人工知能)は、基本的に人間の与えた情報、データを凄まじい情報処理力で自分のモノにしていきます。

その中で、勝手に学習するという機能もありますから、究極としては人間を真似て作られているわけです。

では、そこでAIの「脳」はただ情報を処理するだけなく、人を人たらしめている感情が「学習」されるんではないかと…

そこには「自己」の認識や、世界における自らの場所といった認識――すなわち「意識」という状態も含まれるわけです。

はたして人工知能(AI)にとっての意識とは何を意味するのであろうか? またAIがそれを獲得する日はどこまで近づいているのだろうか?

AIの意識とは?

哲学者は、意識を自己という固有の感覚と、自分の周囲で起きる出来事に対する知覚とが結びついたものとして説明しています。

一方、神経科学者は、脳の活動を解析することで、意識を定量化するという視点を提示しました。

ま、ややこしい言い方ですが、「意識」というもの自体、定義づけが難しいですよね(笑)

しかし、こうしたやり方をAIに当てはめるには注意が必要と考えられます。

と言うのも、ある部分では、AIの処理能力は人間の脳とはまるで異なっていると考えられているからですな。

例えば、囲碁のAIなんかにしても、もう人間を凌駕するだけの実力があるとされていますが、そのうち方は人間の理解出来るものではないとか…

つまり、順を追って見ていっても、ここで何故そうする?ということが人間には分からないんだとか。

高度なAIシステムは、階層化アルゴリズムのネットワークてのを利用する「ディープラーニング(深層学習)」という処理法によって、演算タスクを素早くこなしつつ、より複雑な問題解決を行うように作られています。

ニューラルネットワークにおいてディープラーニングは、病気を特定する方法やゲームに勝つ方法の発見など、AIによる自己学習を可能にするわけです。

自己学習こそが、AIの最大の「ウリ」であるわけで、ま、簡単に言うとほっといたら自分で勝手に勉強して強くなっていってくれるわけです。

しかしこうしたことを達成するには、ニューラルネットワークは人間のプログラマーに頼って、課題を設定したり、学習するためのデータを選んでもらったりしなければならないわけです。

これがあるから、昨日のブログみたいに、与えるデータに偏りがあればサイコパスまで作れちゃうと…。

AIの意識とは、ニューラルネットワークが「プログラマーの意図から離れて、こうした最初の選択を自分で行えるということを意味する」と、オックスフォード大学のコンピューター科学者エディス・エルキンド氏は述べています。

彼によれば、機械がプログラム通りに動くのではなく、自分で目標を設定するようになった時、初めて意識を宿したと言えるようになるのだとか…。

意識を宿す機械を作る上で難題の1つが、人間の「意識」もまたきちんと定義されていないということが鍵になるでしょう。

それゆえにAIのアルゴリズムで、その状態を再現することが、不可能ではないにしても、困難になると考えられるわけですな。

そこで、その論文は脳内の計算に基づいて人間の意識を三段階で定義しています。

最初の第1段階は、無意識に起きる計算の段階です。

例えば、我々が行なっている顔の識別のようなもので、論文では、ほとんどのAIがこの段階にあるとされています。

次の第2段階になると、情報の「グローバル」な知覚が生じてきます。

つまり、特定の状況に応じるために、データを積極的に転換・評価し、情報に基づく、意図的な選択を行うと…

で、自意識が芽生えるのは、次の第3段階目においてだと考えられています。

この段階では、個々が認識し、間違いを修正し、未知のものを調査すると考えられます。

間違いを修正し、未知のものを調査となると、確かに「感情」がないと出来ない気はします。

ですが、よく考えるとですね、この「感情」があるから人間は「完璧」になれないんじゃないの?

だって、普通は親もいりゃ、まわりに大人もいますから、「正しい」ことは教わるはずなんですよ。

つまり、「勉強しろ」だのは周りが言ってくれるわけです。

ま、大体の環境の人はね。

でも、「感情」が邪魔してやらなかったり、違う方向に頭がいっちゃったりするわけですよ。

で、必ずしもその違う方向ってのが「楽」だとは限らないでしょ?

例えばスポーツなんかでも、凄まじく辛い事があったりするわけですよ。

で、勉強するよりスポーツをした方が大成するなんて人も一握りなわけで、そう考えると「正しい」方向とは言えませんよね。

でも「感情」がそうさせてしまうわけですし、そこに悔いも、間違いもないはずですしね。

では、この「感情」をAIが持ってしまったらどうなるか…

これはもはや、AIの意味をなさないでしょ。

例えば囲碁ロボットにしても、とにかく囲碁の勉強を詰め込ますわけですよ。

それは、過去の対局だったり戦法だったりを、そりゃ朝から晩まで、詰め込んでいくわけです。

人間も同じで、もしこれが出来たらおそらく最強の棋士が誕生するでしょ?

それは分かってても、普通は出来ないんですよ。

それは「感情」があるからですよね。

そりゃ好きで始めた囲碁だったとしても、ほかになにもやらずに、そればっかってわけにはいかないですよね。

となると、AIも感情を持った時点でアウトです。

となると、AIに感情なんか持ってもらったらダメってことですよ。

出来るかどうかは別として、これをやったらすべて終りでしょ。

それこそ、ターミネーターな世界が訪れる可能性まで出てくるしねぇ…

ま、これもわたしの生きてるうちは大丈夫でしょうけど、そのうち起こるかもしれませんよね。

ではまた〜



oko



京都 中京区 円町 弘泉堂鍼灸接骨院


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